展示室サイン
旧永山武四郎邸
業種 | 対象ユーザー | 対応言語 |
---|---|---|
観光・サイン | 日本語・英語(米国)・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・韓国語 |
Uni-Voice導入の決め手
永山武四郎邸については、札幌市文化財課で管理する施設なので札幌時計台で実績化されているUni-Voiceコードを採用しました。
音声コードの内容
※日本語の内容
<旧永山武四郎邸、旧三菱鉱業寮とは>
旧永山武四郎邸は、明治10年代前半、屯田事務局長時代の永山武四郎が、私邸として建築しました。その後1911(明治44)年、三菱合資会社が永山邸の土地・建物を一括買収し、1937(昭和12)年に三菱鉱業寮部分を増築しました。旧永山武四郎邸と旧三菱鉱業寮は、明治前半期・昭和期の時代様式をそれぞれよく表しており、それらが共存している点でも建築的価値が高い建物です。
<旧永山武四郎邸の価値>
明治前半期の北海道の和洋折衷上流住宅の好例であり、日本近代住宅史を考える上で高い価値を有しています。三菱合資会社の買収後は、重役専用の宿泊や札幌出張員事務所として使われました。重厚かつ簡素な意匠で、和洋折衷住宅成立の模索過程をよく伝えています。
<旧三菱鉱業寮の価値>
三菱鉱業株式会社は、三菱合資会社の炭鉱部、鉱山部、研究所が独立し、1918(大正7)年に設立されました。炭鉱経営、金属鉱業を本業とし、他に採掘した石炭を輸送するための地方鉄道事業も行っていました。
当時、労働力の獲得や定着を図るために、福利厚生施設の整備は欠くことのできない重要事項でした。旧三菱鉱業寮もこの福利厚生の一環で建設されたと推測されます。このような民間企業の倶楽部が現存する例は道内に少なく、高い産業・文化史的価値を有しています。
妻破風のハーフティンバー・モチーフ、丸窓など、昭和前期のモダンな洋館デザインが見られます。